犬猫の手術で最もポピュラーなものが避妊、去勢手術である。 そして、「何でも人と同じに!!」 と言いながら、「やはり犬猫には避妊しなきゃね。」 といって、人間自身は決して健康上問題が生じなければ受けないのが避妊、去勢手術である。
誤解がないように言っておくが、私は、決して犬猫が人間と同等であるとは思っていないので、避妊、去勢手術を犬に受けさせることがいけないと言っているのではない。 単なるレトリックの問題であろうが、「人と同等」 という論理を振りかざしながら、避妊去勢手術をしなければ愛犬家でないというようなことを平気でのたまう中途半端な自称愛犬家愛猫家の方々に少しだけおかしさを禁じえないだけである。
また、動物の生殖能力の保持に対して、結構シンパシーを感じられる方は多い。 特に、牡犬の去勢手術に関しては、男性の飼い主さんが 「可哀相。」 とコメントされることが多く。 牝犬の避妊手術は、女性の飼い主さんが 「可哀相。」 とコメントされることが多いように感じられる。 逆に自分と違うサイドの性に関しては比較的冷淡な感情を持たれることの多いのがこの避妊去勢手術であるようにも感じているところである。
人は人であり、犬は犬である。 猫は猫である。 動物種の違いを踏まえて、その動物の特性を理解して、その動物に最適な食事、環境、医療など必要なものを与えることが、本当にその対象を愛することであると信ずるものである。
そういうスタンスに立って、避妊去勢手術についていろいろ解説してみよう。
繁殖は、生き物の生存意義のひとつである。 避妊、去勢手術は、言うまでもなく、動物がその子孫を残せなくする、いわゆる断種術である。 したがって、ある意味では動物の存在意義にかかわる手術なのである。 そして、当然のことであるが、 動物の繁殖をお考えの飼い主さんには決してお勧めすることのない手術である。
私の飼い犬も、繁殖を前提に飼育しているものは、当然のことながら、生殖器は残している。 しかし、アンダーショットであるとか犬種標準にそぐわないいろいろな欠点があって、繁殖の対象になりえない個体については避妊、去勢手術をおこなっている。
と、いうわけで、避妊、去勢手術を考慮されるのは、繁殖とは無縁なコンパニオンをつとめている犬や猫、あるいは性的な衝動が本来の仕事に悪影響を及ぼす怖れのある盲導犬や聴導犬、あるいは介助犬に限られるのである。
で、犬や猫に将来繁殖をさせることが絶対にないということであれば避妊、去勢手術を受けた方が良いのかどうかであるが、私は受けさせた方が良いという意見である。 ただし、その術式には条件がある。
私が最も良いと考えている避妊手術の術式は、「卵巣子宮全摘出術」 というものである。 去勢手術の術式は、「睾丸摘出術」 というものである。
それ以外の避妊手術術式には、「卵管結紮術」、「卵巣摘出術」 「子宮摘出術」 があり、去勢手術には 「精管結紮術」 というものがある。 いずれも断種術としては完璧なものではあるが、致命的な欠点がある。それは、卵管結紮術と子宮摘出術、精管結紮術では性ホルモンの分泌を止めることが出来ず、そのため性ホルモンが生体に与える有害作用を絶つことが出来ないというものであり、卵巣摘出術と卵管結紮術では中高年の牝犬にとってあまりにも頻繁に細菌の攻撃対象になり易い子宮という大きな器官を残してしまうというものである。
「卵巣摘出術」 を好んで実施する獣医師は、手術侵襲が非常に少ないということをその利点に挙げているようである。 確かに卵巣摘出術や卵管結紮術の術創は、長さ2センチ以下の極く小さなもので、手術も短時間で済んでしまうのである。 当然料金もそれなりに安価であろう。 しかし、飼い主さんにその旨説明しておきながら、我々獣医師間の会話では 「あれは二度美味しい。」 と表現する獣医師もあるのである。 どういうことかと言うと、その動物が若いときには、卵巣摘出術で手術させてもらえ、動物が年齢をとると子宮蓄膿症の手術をさせてもらえるので、1頭の動物で2回手術収入が入ることもあるということのようである。
「何事も自然が一番」 という考えが世の中に存在することは了解しているが、それは、個々の動物個体を超えた動物種全体に着目した大局については真理であると思う。 しかし、個々の動物の個体の健康のみに着目した狭い次元においては、必ずしも真理ではないのである。
私は、卵巣子宮全摘術、睾丸摘出術を施された犬猫は、全く何の処置をされなかった犬猫と比較して、その平均寿命が一年から一年半も長いという統計結果があることをを記憶している。
そこで、以下に卵巣子宮全摘術、睾丸摘出術という術式の避妊去勢手術が動物の健康に及ぼす影響について、簡単にその得失を列記してみようと思う。
1、まず何よりも望まれない繁殖を防ぐことが出来、結果として経済的理由等の種々の社会的理由で殺処分される不幸な犬猫や、社会に悪影響を及ぼす捨て犬捨て猫の発生を防ぐことが出来る。
2、発情期が消失するので、発情出血で家屋、犬舎を汚すことがなくなる。 また発情期の強い性的衝動が生じなくなるので、犬猫の精神的安定がずっと保たれるので、結果として犬猫のコンパニオンとしての価値が飛躍的に高まる。
3、中高年の牝に非常に多く見られる 「子宮蓄膿症」 「乳腺腫瘍」 を予防する効果がある。 子宮蓄膿症につ いては子宮そのものを無くしてしまうので、それにかからなくなるのは当然のことであるが、乳腺腫瘍については、卵巣から分泌される卵飽ホルモンや黄体ホル モンが、牝犬が性周期を経験する都度、乳腺に働きかけて、乳腺腫瘍を生じさせやすくしているということを阻害してしまうのである。 このことは、統計的に一回も発情期を経験していない牝犬が卵巣を摘出されると、乳腺腫瘍の発生率が、何もされなかった犬の200分の1である(Long- Term Health Risks and Benefit Associated with Spay /Neuter in Dogs Laura J. Sanborn April 1.2007)という数字が証明していると考えられる。
猫についてもこの効果は、程度の差はあるかもしれないが、同様である。
子宮蓄膿症にかかった犬の子宮。 健康な犬の子宮は太さはこの5分の1、長さは半分にも満たないものであります。
健康な子宮です。 拡大率が上の子宮蓄膿症の犬のと異なりますが、違いは見てとれると思います。 当該犬は栄養状態が良いので、子宮広間膜の脂肪が多いです。
1、いったん卵巣子宮を摘出すると、二度と復元不可能であり、あまりにも愛着を感じてしまった犬猫に子供を作らせたいと思っても、繁殖を行なうこと ができない。 その犬猫の血のつながる直系の個体を入手しようとすれば、今現在(西暦2003年)では今なお不完全な技術に過ぎないクローン技術に頼らざるを得ない。
2、性ホルモンによる一種のストレスが無くなってしまうので、わずかな栄養で身体のエネルギーバランスが取れるよう になり、少ない飼料しか摂取しなくても太りやすくなってしまう。 しかも、少ないエネルギーでやっていけるようになってはいても、食欲の方は必ずしも低下するわけではない。
しかし、このことは、考えようによっては少ない飼料で犬猫を養うことが出来るようになるので、経済的に有利になるということでもある。
また太りやすくなるということは、必ずしも太るということではない、飼い主が摂取カロリーを適切にコントロールすることにより、肥満の防止は達成可能である。
3、個体によっては、卵巣を摘出したことにより性ホルモン欠乏性脱毛症になる場合がある。 しかし、逆に卵巣を残している犬猫でも性ホルモン過剰性脱毛症も生じることもあり、これらの脱毛症の発生頻度にはそんなに差は無い。
などが挙げられる。
1、望まれない繁殖を防ぐことが出来る。 捨て犬、捨て猫の発生の抑止効果、殺処分件数の抑制効果は卵巣子宮全摘術と同様である。
2、性的に完全な牡犬のあまりにも強い性的衝動を抑えることが出来る。
牡犬牡猫共に尿かけによるマーキング行動がかなりのわりで消失するし、牡犬ではえらそうにしたいという衝動も抑えられる。 その結果、服従訓練に不慣れな素人の愛犬家にとっては、犬がコントロールしやすくなる。
しかし、このことは、牡犬の名誉にかけて言っておくが、睾丸を持っている牡犬が服従訓練を遂行できないということではなく、社会的生活における種々のマナーを覚えることが出来ないということでは断じてない。
また、犬猫ともに言えることであるが、性的衝動が無くなることによって、その個体の精神的な安息が保証され、コンパニオンとしての価値が高まる。
3、雄性ホルモンの生体に及ぼす悪影響がカットオフされる。 その結果、高齢牡犬に多く見られる肛門周囲の腫瘍、会陰ヘルニア、前立腺疾患、睾丸腫瘍の発生率が低くなる。
1、優秀な個体について、二度と繁殖が出来なくなる。卵巣子宮全摘の欠点1、と同様である。
2、太りやすくなるかもしれない。 これも卵巣子宮全摘出と同じ。
3、性ホルモン欠乏性脱毛症の発