生き物の身体は、外部から始終様々な攻撃にさらされている。 その攻撃は、生態系においてはより高位の存在である強力な捕食動物の攻撃であったり、 線虫、原虫のような寄生虫、クラミディア、細菌、真菌、ウィルスのような微生物による攻撃であったり、本当に様々なのである。 我々人間にしても犬猫のよ うな伴侶動物にしても事情は全く変わることはない。
その攻撃の中でも獣医療にとって特に重要なのが細菌感染である。 細菌って一体何なのと問われれば、難しすぎる専門 書の記載は避けて手許にある三省堂新明解国語辞典より引用してみると、「植物に属する単細胞生物の一つ。 他の物に寄生して、醗酵・腐敗作用を起こし、ま た、病原となるものもある。 バクテリア。」ということなのである。
この世はまさに私たちが意識するとしないとに係わらず、曼荼羅の様相である。 つい悪者にされがちな細菌にしても醗 酵という作用によって私たちの食品加工に利用されたり、腐敗という作用によってごみを分解したり下水処理に役立ったりと決して全く役に立たないわけではな いのである。 たまたま感染という作用によって病原性を発揮するものが存在するので忌み嫌われるのであるが、細菌とてこれが存在しないと、この世というか 生態系は成り立たないのである。
おっと、いつもの癖で前置きがくどくどしくなってしまった。
獣医療において細菌感染が問題になるのは、外傷、外科手術の後、感染性皮膚疾患、咽頭炎喉頭炎などの上部気道炎、気管気管支炎、肺炎などの下部気道炎、胃腸炎などの場合である。
加古川で開業して間なしの平成元年頃には、自分の動物病院ではまだまだ薬剤耐性菌の出現が問題になることはそうなかったのであるが、いつの頃からか効くはずの薬を投薬しても反応がない、もしくは悪化するという症例が目立つようになってきた。
細菌培養と感受性試験についての知識はあったので、そんな患者さんから材料を採取しては検査センターに送るというこ とをやってはいたのであるが、いかんせん検査センターに送ると、正確に文書で回答は返って来るのではあるが、時間がかかって仕様がない。 一週間近くもか かるのだ。
そんな時に、大阪府立大学に何かの用事で行ったのだが、検査室でやっていたのが比較的簡易な細菌培養と感受性試験であった。
早速材料と方法をメモして帰り、自分でもやってみたのだが、これが素晴らしい結果を生んでくれた。費用もそんなにかからない。
用意するものは、簡易な孵卵機(3万円くらいだった)とミューラーヒントン培地(既にプラスチックシャーレに分注し てあるものが販売してある)、感受性用ディスク(薬屋さんに言えばすぐに持って来てくれた)、それにセロファンテープ(普通の文具屋さんにあるやつ)、先 の尖ったピンセット、ピンセットを火炎滅菌するガスバーナー(市販のカセットコンロで代用可能)である。
患者さんから採取した膿汁、分泌液、皮膚や咽喉のぬぐい液、気管洗浄液などの培養の材料を滅菌綿棒に含ませて寒天培 地に薄く塗り広げ、それに感受性ディスクを置いていく。 作業の際には一回ごとにピンセットを火炎にて滅菌する細心の注意が必要である。最後にシャーレの 蓋をセロファンテープで固定して必要事項を記入して一日か二日孵卵機で38度くらいに保温するだけである。
ミューラーヒントン寒天培地に材料を塗り広げて感受性ディスクを置いた直後です。
得られた結果は、下の画像のようなものである。寒天の表面にべったりと生えてきた細菌が、効果のある抗生物質を含ませたろ紙(感受性ディスク)の近くを避 けるように阻止円を形成するのだ。耐性菌があればディスクの存在に関係なしに菌が生えてくるのでその結果は非常に判りやすい。
別の材料ですが、塗り広げて一日後に細菌が生えた状態です。効果のある抗生物質を含んだ感受性ディスクの周囲には細菌は生えてきませんので透明のままです。しかし、その透明の部分にポツポツと薬剤耐性菌が生えているのが観察されます。これがいやな相手なのです。
こうしてよく効く抗生物質が判明すれば、その薬を患者さんに与えれば良いだけである。 飼い主さんも結果が目で簡単に判定できるし、何よりも効果のある薬を投与した時の素晴らしい結果に満足してくださることがほとんどである。
しかし、油断せずに毎日シャーレを観察していると、時々二日以上経過してそれまで効いていたはずの薬の周囲に新たな細菌が生えてきたりする。 そんな時には投薬を見直せば良い。
また、まれにすべてのディスクを無視して細菌が生えてくるような、多剤耐性菌の存在が判明したような場合、あるいは全く何にも生えてこない場合には、新たに材料を採取し直して検査センターに送って専門家による本格的な培養検査を実施するのである。
グリーンピース動物病院では、非常に簡単なこんな検査を実施することによって、今まで大変な症例を数多く救ってくることができたのである。
最近セミナーに行くとよく聴くのが、「エビデンス」という言葉である。 この細菌培養と感受性試験こそエビデンスに基づく獣医療の最たるものであろう。