兵庫県加古川市|グリーンピース動物病院 の 安楽死(生きるということ死ぬということ、その子にとって一番良い選択は?)
診療方針

安楽死(生きるということ死ぬということ、その子にとって一番良い選択は?)

1、何をもって安楽死とするのか?

安楽死とは如何にも響きの良いような悪いような言葉である。 しかし、獣医療をやっていると、安楽死を避けることが出来ない局面に必ず出会うものである。 であるからにはこの安楽死なるものに少しばかり思いを致してみたい。

一体何をもって安楽死となすのか? 私は、二つの用件を満たすことが重要と考えている。

一つ目は、動物が苦痛を感じないこと。 そして二つ目はクライアントが良かったと思えることである。

一つ目の要件を満たすだけで安楽死とするならば、動物が苦痛を感じさえしなければ良いのであるから、一切の予告なく銃でいきなり頭をぶっ飛ばしてもこれは安楽死になるのかもしれない。 あるいはバットでの頭部に対する強烈な一撃も同様であろう。 しかし、それではクライアントがその悲惨な動物の姿を目の当たりにして、「何とむごいことか。」 と嘆き悲しむのではないかと思うのである。 見た目にも穏やかな死に様は結構大切である。

二つ目の用件だけにこだわると、クライアントにその旨を知らせずに、動物に筋弛緩剤を投与するだけで、呼吸を止めて命をとる方法は、なるほど見た目には動物はピクリとも動かず、一見穏やかな死に様に見えるのではある。 しかし、実際には動物は、単に筋弛緩剤で全身の筋肉が動かせなくなっているだけであり、それこそ苦痛を訴えたくとも、声もあげれず顔をしかめることも出来ず。 意識はしっかりと残っており、実質的には酸欠で苦しみながら死んでいくのではないかと思慮されるものである。 これも決して安楽死とは言えないであろう。

安楽死というからには、そうして、動物が実質的に一切の苦痛や恐怖心を感じることなく。 その過程が見た目にも穏やかで、死んだ後の姿も、客観的に見て如何にも良い状態であり、安楽死を選択した原因であるところの病気、老齢等の苦痛から完璧に解き放たれたという実感が感じられるものでなくてはならないと考えるものである。

そして、私は自分の患者さんに安楽死を施す場合には、方法論として、上記の要因が満たされるやり方を選択しているのである。

2、どういうやり方をするのか

私の実施する安楽死は、シンプルなものである。 静脈から大量のバルビタール系注射麻酔薬を注入するのである。 その時ゆっくり入れると、この麻酔薬の特徴である興奮期をわずかでも経験してしまう恐れがあるので、なるべく速やかに急速注入を行なうのである。

静脈麻酔薬を、通常使用量の4倍量急速注入すると、それだけでほとんどの動物は一瞬にして完璧に意識を失うとともに、速やかな心停止が生じるのである。

最初のこの手技で心停止が生じなかった場合、そこで初めて筋弛緩剤が登場する。 筋弛緩剤は静脈経由でも筋肉注射によっても投与可能であり、すぐに呼吸停止が生じる。 意識は完璧に失われているので、動物は苦痛を感じることなく、死んでいくことができるのである。

また、動物が注射をされるについての恐怖心をなるべく感じることがないように、安楽死実施の際には、動物が信頼を感じているであろうクライアントがその場に立会い、なるべく動物を撫でたり、抱っこしたりして、安心させてやることが非常に重要であると考えるものである。

3、どんな動物が対象になるのか

私は獣医師として、患者さんの安楽死を、時には勧め、時には断わりするのであるが、それはクライアントと患者さんの関係、患者さんの獣医学的な状態、 クライアントと患者さんの社会的な立場、などなどを考慮の対象にしてのことである。

もとより神ならぬ身としては、自分の考えが常に正しいとは限らないし、時には本当にあれで良かったのかと、後刻思い悩むこともないではない。

しかし、どんな時にも、クライアントと患者さんの身になって真剣に考え、自分がこの患者のオーナーならば一体どうするのが最良の決断なのか? 後から後悔することはないのか? 常に自問自答しながらこの命題に取り組んでいこうと思うものである。